龍野城下町、一棟貸しの古民家ホテルkurasuが創業3年で辿り着いた景色
京都や湯布院、姫路のような大規模な観光資源があるわけではない。けれど、その町の文化と暮らしが溶け合う静かな魅力がある。そうした地域の観光の核となるのが、町の独立系ホテルです。このWebメディア『LOCAL+EYES(ローカライズ)』では、新たな価値創造に挑戦するホテルの経営者やそれを支える方々にインタビューし、独自の視点を共有します。
第一回のゲストは、兵庫県たつの市龍野城下町で《町を体感できる》《戻って来たくなる》という感覚を追求している古民家ホテル総支配人のアーデン歩さん。
「誰かの家に遊びに来たようで、自分の家のようでもある」
言語化が困難なその雰囲気をどうやって醸成するのか、そこに必要なキーとは何なのか、伺いました。
【Hotel&Guest Profile】
古民家ホテルkurasu
兵庫県たつの市龍野城下町全域をホテルに見立てた一棟貸し切りの宿。2021年3月にkawaracho 148をOPENし、現在は2号棟であるhonmachi 179を含めた二棟を運営する。
https://masumasu.jp/
アーデン歩(あーでん あゆみ)
同ホテル総支配人。龍野実業高校デザイン科卒業後、オーストラリアのデザイン専門学校に進学。同国でグラフィックデザイナーとして活動し、2013年にたつの市に帰郷。2020年7月から株式会社masumasuとホテルの創業に携わる。
虹の中では気づけなかった龍野城下町の魅力
苗字を聞けばどのあたりの地区の出身か見当がつく。地方に深く根ざす家に生まれた人ならばうなずける感覚かもしれない。今でこそイギリス系オーストラリア人の姓を名乗るアーデンさんは、実は曾祖父の代から龍野城下町に居を構えていた家庭の生まれだという。
18歳でオーストラリアに飛び立ち、そのまま現地でグラフィックデザイナーとして活躍。永住権も取得していた。そんな中、10年前に帰郷し、その流れの中で地元龍野の古民家を改修するホテル事業に携わることになる。
急遽生まれ故郷に戻ってまちづくりに関わるようになったのは、やはり愛郷心からなのだろうか。経歴の隙間を埋めようとするこちらの想像に対して、アーデンさんはさらりと答える。
「正直なところ、高校時代までは何もない場所だなと思ってましたよ。女子高生でしたからね(笑)。あくまで出産のための一時帰郷のつもりで、またすぐにオーストラリアに戻るつもりだったんです。でも、夫が城下町をすごく気に入ってしまって。」
学生時代、周囲と同じことを求められる毎日に違和感を感じて海外に飛び出したというアーデンさんを日本に再びつなぎとめたのは、日本文化を愛する伴侶と新たな家族の存在だったそうだ。そのパートナーが、アーデンさんの町への見え方も変えたのだと言う。
「『城下町に入ると今ではない時代にタイムスリップしたような感覚になった』と彼は語ってくれました。言われてみれば、山は近く、空気感も確かに変わっていました。龍野城跡を見て、『苔が絨毯みたいでとても綺麗だ』と彼はまた驚きます。本当だーー私も気づきます。彼というフィルターを通して、新たな感覚を得た気がしました。」
醤油や味噌といった醸造の伝統技術、その中で形作られてきた町並みが今も龍野城下町には残っている。その土地に生まれ育った人では気づけないものがある。そのことに気づいたという彼女は、それを「虹」に喩える。
「虹の中にいると、虹は見えないじゃないですか。離れた場所にいたからこそ、そこには綺麗な虹が架かっているってわかる。この町に限らず、地方の持つ魅力ってそういう感覚なんだと思います。」
子育てをはじめ、たつので暮らす魅力を感じはじめた頃には、《英語》と《デザイン》というスキルを合わせ持っていたアーデンさんのもとにはまちづくりを進める人達から声がかかるようになる。そうしてレトロマップの英語翻訳や新店舗のロゴデザインなどの経験を経て舞い込んだのが、当時龍野城下町に必要だった「宿」の創業話だったのだそうだ。
「城下町全体をホテルに見立て、古民家の一棟を 《龍野を体感できる宿》として改修する大きなプロジェクトをやってみないかと。たしかに、ロゴもパンフレットもインテリアの買い付けも私が行うことでコストも軽減できますし、食事処などとの連携も外国人の方の応対も私だけでできる。40年間で培った経験すべてを表現できるいい機会だと思いました。」
地方でシンプルな、されど上質な古民家ホテルを0から作り上げるのに必要なリソース、その多くを持っていた彼女は施設の設えからオペレーションシステムまで大部分を担い、2021年3月に無事古民家ホテルkurasu一号棟kawaracho 148をオープンさせることになる。
「町を体感できるホテル」が突き当たる壁
創業期を経験した地方のホテル経営者やGMの先達は数多くいる。だが、アーデンさんのようにホテルのデザインを含めた大部分を手がけながら、一棟貸切のマーケティング、チェックイン、清掃に至る運営まで直接行ったという人はかなり珍しいだろう。
一棟をまるごと一人で切り盛りする経験で、彼女はどんなものを作ろうとし、何を見たのか。
「目指したのは《龍野の暮らしに出会える宿》です。お客様がこの町の産業を体感できるように、地場の龍野レザーでオリジナルキーリングを作り、販売もしていました。お食事の提供はないですけれど、キッチンがあるので有名なおそうめんと醤油を置いて小腹が空いたときに召し上がっていただくことも考えていました。ここで使ってもらって、気に入ったから町の店舗へ足が向く。そういう流れを作りたかったんです。」
町の特色ある産業を宿で感じ、町全体に人とお金が還流する理想的な流れを思い描いた。しかし、現実は甘くなかったと言葉を継ぐ。
「そこに行くにはマンパワーと資金が足りませんでした...。」
コロナ禍の最中での経営、当然資金が潤沢にあるわけではなかった。周囲の助けもあったとはいえ、運営の大半を担い、なおかつ幼児期の第二子を抱えてもいたアーデンさんに時間的余裕などあるはずはないと容易に想像できる。
そうした状況下で、経営とデザインとオペレーションを行う。業務同士が頭の中でぶつかり合い、思うようにアイディアが実現できないジレンマに陥っていったという。フロント機能を持たせている物件やスタッフをどうするのか、物販の新商品をどう作るか、二号棟・三号棟の計画もまちからは期待されている…。こうした連携と思惑のすり合わせにも意識は割かれていったのだろう。
「やり始めたことが楽しくなくなって、でもやらなきゃならなくて…。『どこかで線を引かないと…』そんな思いが頭のどこかに常にあって、しんどかったですね。」
現実の厳しさを突きつけられる日々。しかし、それも自分にとって良い経験だったと、からりと振り返る。アーデンさんの語調には悲壮感はなく、どこか達観したような響きがあった。苦境からどうやって抜け出したのだろうか。
「本来自分がやりたかった一棟貸切をきちんと回す。背伸びをやめて、シンプルにそこへ立ち返ることにしたんです。自分のできる範囲でやる。頭では分かっていたんですけど、決断には時間が要りましたね」
観光案内所の契約を打ち切り、物販商品を置くことも辞めた。二号棟や三号棟といった計画やまちづくりの文脈からも一旦離れることにしたという。やるべきことを絞れば、コンセプトとやりたいことに集中できるようになる。しかし、人間関係や利害関係が複雑に絡み合う中、それらを手放すということは決して簡単なことではなかったはずだ。
シンプルされど上質な古民家ホテルkurasuらしさ
原点に立ち戻ったことでオペレーションはとても簡素になったと、アーデンさんは語る。
ゲストの到着に合わせて玄関でお出迎えする。チェックインにかける時間は、ほんの5分から10分程度。鍵を渡し、地図を広げて宿の現在地を伝える。その中で、アーデンさんが最近行った美味しいお店や、新しいお店のローカルな情報を伝える。
「チェックインではウェルカムドリンクに地元の石井製パン店さんのラスクをつけています。それが《龍野》なのかとおっしゃる方もいるかもしれません。でも、事務所から5分ほどで買いに行ける素敵なお店のものをお届けする。ほんの少しの心配りをちょっとずつやっていく。それが町を体感してもらうサービスなんじゃないかと思えるようになりました。」
レストランの予約があることを伺えば、店主に電話で一報も入れる。そうした華美でも仰々しくもないが、人間らしい心配りを入り口に、ゲストは実に自然にkurasuと龍野城下町の世界に入り込んでいくわけだ。
町を体感できることと同じように、アーデンさんが目指していたのが《また戻って来たくなる宿》だ。そのために空間づくりとして常に意識しているのが《宿だけれど、誰かの家に遊びに来たようで、自分の家のようでもある》という佇まいの醸成なのだそうだ。
町に住む人とのささやかなやり取りと、和洋溶け合うkurasuの空間と、何も決められていない自由な時間。いつ来ても、いつ出ていっても、何を感じてもいい。ホテルに泊まるのではなく、kurasuに行く。
それは調度の置き方一つで変わってしまうような繊細な感覚だというが、それが今はお客様に感じとってもらえているという手応えがある。
「チェックアウト後の清掃に入ったとき、すごく感じますね。濡れていたら床が傷むと気遣ってタオルを掛けておいてくださったり、ゴミを分別しておいてくださったり。言葉にならない宿への気遣いに、それが表れている気がします。」
同時に、ゲストが残すアンケートにも感性豊かな方々が自由に、心地良く過ごしてもらえた跡が残されていて面白いと声を弾ませる。
「子ども達が黄色帽子で登校している姿や、高校生達が龍野橋から自転車で走って来るのが記憶に残っていると教えてくださる方もいます。わずかに漂うお醤油の匂いや、町家の鬼瓦のディティール、夜10時以降の町の静けさに気づいたという声もありました。」
城下町だけれども、京都とは違う。町の中のありふれた生活の風景と観光が溶け合う。どこにでもあるようで、ここにしかない。大規模観光地のようなわかりやすさではない《この町の魅力》を感じ取った方が、何度もリピートしてくれているのだそうだ。
ゲストから寄せられるフィードバックをもとに小さな改善も続け、宿の質も稼働率も上がり、宿の経営も現在は安定。これならばと二号棟も改めて運営できる体制が整ったのが3年目の現在地だ、とアーデンさんは穏やかな表情で語ってくれた。
型にはめない心地良いシステムを作る
kurasuが辿り着いたアプローチは普遍的なようで、実に個性的に感じる。いわゆる観光地とは異なる龍野城下町のような地域が、日本には数多くある。こうした地域が活性化していくためのキーをアーデンさんは気づいているのではないか。そんな気がしてその核心を問うと、言葉にするのは難しいと前置きした上で、見解を示してくれた。
「観光と住まいのCo-Exist、それがこの城下町の魅力です。それをゲストに感じていただくために大切なのは《この町に住んでいる人がやる》ことだと感じたんです。住んでいる人だからこそ伝えられる、小さな町の情報がある、そういう実感が自分の中にありました。」
やはりその町に住み続けて骨を埋める人材が必要ーーそう解釈した矢先、そこにはニュアンスの違いがあることを彼女は丁寧に付け加える。
「その町に住むからといって、離れてはいけないわけではないと思うんです。やりたい人がこの町に住みながら5年・10年続けられて、気軽に離れることも戻ることもできたらいい。外に出ることも大事ですから。」
軽やかに海外に飛び立ち、また舞い戻ったアーデンさんらしい意見だ。だが、何があればそれが成り立つのだろうか。続く問いにもやはり経験から導きだされた答えが返ってきた。
「やりたい人が誰でもできるオペレーションシステムが必要です。でも、それは型にはめたものでなく、その町の生活に合わせて作ったものでないといけないと思ってます。母親が子どもを学校に通わせながらでも時間を工面できて、『もしものときは事務所においでね』と伝えられるような。そういう生活まで織り込んだシステムです。」
なるほど、その町で誰もが暮らしながらも無理なく続けられる心地良いオペレーションシステム。それがkurasuで町の息づかいや思いやりを伝えるスタッフを支える。システムに頼りすぎるのでもなく、人に依存するのでもない形。それを求めて、これからの一年は業務の一つひとつを見直す期間にするのだそうだ。
一年後はどんな様子か、また見に来たいーー。
町を後にするとき、不安や負担のない軽やかな心持ちで、そう思っていた自分に気づいた。言葉にできない《また戻って来たくなる感覚》を、アーデンさんは確かにkurasuで醸成している。