.png)
西舞鶴のまちやど・宰嘉庵は、コミュニティとビジネスの狭間で生まれた。
建物、事業、宿、そしてまちーー。生み出されたものが持続可能な仕組みを持ち、当たり前の暮らしに溶け込んでいくのは、簡単なようでとても難しいことです。新陳代謝を続け、深みを増していこうというなら、尚のことかもしれません。
京都府西舞鶴の風景に馴染んだ宿・宰嘉庵(さいかあん)は、その困難に挑み続けてきた宿です。今回のLOCAL+EYESでは、この宿泊事業に立ち上げから携わってきた株式会社大滝工務店の大滝雄介さんに、これまでの道のりで何が見えたのかを伺ってきました。
見出したビジョンに邁進する中、見えなくなってしまっていたものとは。
古民家の宿 宰嘉庵(SAIKAAN)
田辺藩の城下町として栄えた西舞鶴で、そのレトロなまちなみに馴染んできた建物を宿としてリノベーションした施設。現在同地区で3拠点を営業。国内外のゲストが、情緒ある風景と暮らしを求めて来訪する。まちづくり団体・株式会社KOKINが運営。
https://saikaan.com/
大滝 雄介
株式会社大滝工務店代表。東京のIT企業で勤務後、家業を継ぐためにUターン。2011年のKOKIN立ち上げ以来、宰嘉庵、チャレンジカフェFLAT+、ふるさと納税運営会社HOUKO・ママ仕事請負チームteam.mなど、さまざまな事業の立ち上げに関わる。
まちづくりからソーシャルビジネスへの移行期に
「今、宰嘉庵は二代目の男性店主に全てを任せています。宰嘉庵を生んだまちづくり団体・KOKINも、精力的に活動してくれている若いメンバーに託していくつもりです。
対面してすぐに、大滝さんはこう切り出した。本業である大滝工務店への集中、そして人材育成へシフトしたい、というのが理由だという。視線の力強さと落ち着いた語調が、その覚悟のほどをこちらに伝えてくる。
何かを「事業」として持続可能なものにしていくために、必ず必要なものーーそれがヒトとカネだ。一人の人間の持つ資源、特に時間は限られている。それを工面し、循環可能なものにしていくために、経営者は決断しなくてはならない。大滝さんの今回の決断には、どのような背景があるのだろうか。

築130年の古民家を改装した宿泊施設・古民家の宿 宰嘉庵は、2017年に開業し、2023年4月にリニューアルして現在の形になった。「東洋のヴェネツィア」と呼ばれ、水辺の家々と停泊した船が並ぶ吉原入江にも近く、駅やまちの飲食店、生活施設へもすぐアクセスできる場所にある。
訪れたゲストは、情緒ある街並みと暮らしの中に溶け込み、日常を過ごす。そのために、肩肘張らないサービスを提供するのが宰嘉庵という宿だ。
しかし、ペットの宿泊が可能であったり、他2施設も含めてバーチャル内覧が可能など、雰囲気を損なわずにその魅力を引き出すモダンなアイディアも光る。
「はじめて宰嘉庵でゲストを迎えたのは、たしか2015年だったと思います。Airbnbが日本に上陸したばかりの頃だったかな、まだ住宅宿泊事業法も改正前で。もともと東京のIT企業に勤めていて、新しいものには目がなかったんですよ。Webの記事でAirbnbのことを知って、すぐに『やってみよう』と登録しました。」
家業を継ぐために地元にUターンした大滝さんは、「西舞鶴の情緒あるまちなみを守りたい」という思いから、それぞれ地元で本業を持つメンバーと「まちの資源を使ってまちの暮らしを楽くする」をテーマにしたまちづくり団体・KOKINを2011年に立ち上げた。
もともと宰嘉庵は、翌年12月にレンタルスペースとしてオープンした場所で、KOKINメンバーがさまざまな試みを行う「基地」だった。その場所を「宿泊施設として使えないか」というアイディアが、現在の宿泊事業の発端だったのだという。
「登録したらすぐに予約が入ったんです。最初のゲストはフランス人とイタリア人、韓国人にトルコ人だったかな。『そんな海外の人達が何しに来るんだろう、こんな観光地でもないところに。面白いな。』と思っていました。」
仕事の合間をみてチェックインを行い、片言の英語ながらコミュニケーションを取り、ご飯を一緒に食べ、ひとときの異文化交流を楽しむ。そのなかで、大滝さんは次第に可能性を感じはじめる。
「あるとき、30歳ぐらいのフランス人男性が来たので、『何で舞鶴に来たの?』って聞いたんですよ。そしたら、『三島由紀夫の小説を読んで、金閣寺を燃やしたお坊さんが舞鶴出身だったから来てみたかった』って(笑)。他にも『鳥取から日本海沿岸をずっと北上してきた』というゲストもいました。」
それぞれが、予想のつかない理由で西舞鶴に泊まりに来てくれる。観光地であるかどうかなど気にせず、そのまちの暮らしと、そこにある情緒を感じにゲストはやってくる。このゲストハウスの形態なら、まちの建物をゲストハウスとして生まれ変わらせながら、まちなみを保ち続けるビジネスを生み出すことができるのではないか。大滝さんは、そう感じていた。
「KOKINは山﨑亮さんの“コミュニティデザイン”の考え方のもとに進めてきたのですが、『稼ぐのって大事だよな』とも思うようになっていたんです。ちょうど、『ソーシャルビジネス』が提唱されはじめた時期でもあったので。」
まちづくりなど有志のボランティアで活動を行う団体の多くは、その途上で「持続的な事業を行うために、いかに資金を集めていくか」という課題に突き当たる。そして、継続的で安定したオペレーションを行うには「それを専門で担う人が必要だ」という話にもなる。
「面白いなとは思ったものの、宿を運営するにはチェックイン・チェックアウトから掃除まで行う必要があります。でも、メンバーはみんな本業を持っているので『これ、誰がやるの?』という話になって。それでしばらく休止していたんです。」
その間にも、世界は動いていく。時々刻々と移りゆく流行に敏感で、精力的なまちづくり活動で、地域を越えて「おもろい人」と出会う大滝さんは、思考を大幅に更新していく。コミュニティデザインからソーシャルビジネスへ。どうすれば稼げるか、どうすれば事業化できるか、どうすればまちをもっと良くできるのかーー。
そんなとき、出会いが訪れる。
「ゲストハウスで女将をしたいという女性を紹介してもらえたんです。とても明るく元気な方で、英語の習得やビジネスデザインにも意欲的でした。移住して、宿の運営を一手に担ってくれる彼女が来てくれたら、宿泊事業ができる。それならと、2017年に宿泊事業の許可を取り、宰嘉庵をゲストハウスとして開業させることにしました。」
2022年に引っ越すまで、この女性が初代女将としてとても頑張って切り盛りしてくれたのだと、大滝さんはしばし当時を振り返る。笑顔が素敵で、思いやりのある接客と運営を行う彼女が宿を軌道に乗せてくれた、「彼女に会いに来た」と訪れるゲストは今も多い、そう話す大滝さんの表情には、どこか苦みがあった。
コミュニティとビジネスの狭間に生じる軋轢
有志の行うボランティアが持続的な事業化に切り替わろうとする過渡期、そこには歪みが生じる。筆者は、いくつかのまちづくり団体やNPOの事例を近くで見てきたが、これを避け得た事例は稀だ。KOKINが運営を行う宰嘉庵も、やはり例外ではなかったようだ。
「宰嘉庵はみんなが作って来たコミュニティの場でした。でも、宿泊事業を行うとKOKINのメンバーが入れない場所になってしまう。愛着のある基地にもう入れなくなる。そして、そこが誰かのビジネスの場になってしまう。それをどうしても割り切れずにいるメンバーもいたんです。」
人が移住するためには、生活するだけの稼ぎが必要になる。起業にせよ、雇用されるにせよ、そこには稼ぐ営みが必要なのは言うまでもない。しかし、一度新たな土地に移り住んで生活が始まれば、後戻りは難しい。事業も同じだ。始まってしまえば後戻りはできない。しかし、関係者全員の心の準備は、このときまだできていなかったのかもしれない。
当時はチャレンジカフェFlat+という新たな基地をメンバーで立ち上げたばかり。メンバーはボランティアでこのカフェに時間を割き、掃除などの雑務を分担していた。しかし、これまで基地だった宰嘉庵はビジネスに移行し、そこには給与も発生する仕組みになっていたと、大滝さんは話す。こうした点も、軋轢を生む下地だったのかもしれない。

「僕の中ではどちらも目指すことは同じで、一貫したストーリーを持ったものでした。『舞鶴のまちなみを残していくためには、まちの資源を使って雇用やチャンスを作っていく必要がある』というのが僕の主張です。でも、これまで『みんなで集まる場所で輪を作り、みんなでいろんなものを持ち寄って楽しい活動を作る』ということを目指していたメンバーからすれば、僕の言い分には同意できないですよね。結果、互いの求めているもの食い違い、メンバーと僕の間で、衝突が絶えず起こるようになってしまいました・・・。」
KOKINのスタートは、地元の人達が活動を通して「舞鶴って、めっちゃいい」とまちの暮らしを楽しめるようにすること、そうした人を増やしていくことを目指していた。言ってみれば「町の内側」をターゲットにした活動だ。担い手は、すでに本業を持っている人だった。だが、観光や移住者獲得というのは「町の外側」に目を向けたものだ。

両者はつながってはいるが、大きな隔たりがある。この二つを、「連なったもの」と見るか「異なるもの」と見るかは、”視座”によるだろう。だが、相手の立場に寄り添う余裕は、この時の大滝さんにはなかった。
「ボランティアではなくもっと『雇用』を生み出そうと、ふるさと納税の地域商社設立に息を巻いている時期だったんです。視察先の団体代表から『稼げたらいいなって思っているうちは稼げないよ。1億稼ぐって決めないと、1億は稼げない。』と甘さを指摘されたことで、僕の意識はビジネスにすっかり切り替わっていました。」
徐々に事は大きくなり、溝は広がる。危機が訪れれば、リーダーは責任を追及される。だが、余裕のなさはリーダーからあるべき思いやりを奪い、時として取り返しのつかない言葉を吐き出させる。大滝さんは「金を出してるのは俺なんやから、ええやないか!」という言葉をメンバーに浴びせてしまったこともあると、苦々しく語る。
誰にも打ち明けられない思いを、重圧と責任と共に抱え込んだまま、大滝さんは信頼を失っていった。
高まる視座の裏に生まれる「盲点」

「団体の屋台骨が揺らぐ中、奮闘を続けた女将も家庭の都合で引っ越さざるを得なくなってしまいました。そんな状況でも宰嘉庵を存続できたのは、僕が何かしたからではなく、幸いにもまちづくりに関わりたいという二代目店主が現れてくれたおかげなんです。」
そう話して、目を伏せる。記憶に刻まれた傷跡は、思い出す度に胸を刺す。その痛みを感じているのだろうか、大滝さんは呟くようにこぼす。
「運営って、難しいですよね。僕は建築の人間だから、すぐに場所を作りたくなってしまう。でも、そうすると維持費、運営を誰が担うのかという問題が常に生まれてくる。でも、なんでなのかな、『俺がやらなきゃ』って思ってしまうんです。」
まちづくりに関わる中で生まれてくる悶々とした課題感が、人との出会いを引き寄せるのだろうか。大滝さんはこれまで次々に人と出会ってきた。そして、そのたびに「俺がやらなきゃ」と課題解決への使命感を燃やし、新たな場や事業を興してきた。まちなみを残す、まちを楽しむ、女性活躍の機会を作る、稼げる地域を作るーー。そうした使命感と意欲は、なぜ湧き上がるのだろう。
「自分でも分からないですね、こればっかりは。別に、僕がしなくちゃいけない理由はないんですよ。誰に頼まれたわけでもないんです。でも、自分のいる場を『もっと良くしたい』という思いが強烈にあるんです。働いてる人、関わってる人に、もっと給料をもらってほしいし、楽しく生きてほしい。だから『もっと俺がやらなきゃ』って、勝手に思ってしまう。」
内面に目を向けた人が見せる、特有の静かな面持ち。だが、その瞳の光は、より濃くなっていく気がした。「舞鶴の工務店」という家業を背負うと覚悟を決めたときに、すでにこの光は灯っていたのだろうか。渡された環境を受け入れもっと良くしたいと願っても、環境は自分だけでは変えられない。だから、その情熱は周囲に広がっていくのかもしれない。
「視座を高くすることを強く意識しています。そうすることで、自分だけだったところから、部署、会社全体、地域、業界、国と見渡せるようになっていくからです。活動が広がる中で出会ってきた面白い人達は、どの人も視座が高く、地域や業界を『自分ゴト』として捉えていた。僕もそうありたいと思ったんです。」
個人も団体も町も、実は相互につながっている。視座が高まると視界が変わり、「別モノだ」「関係ない」としていたものが、そうではなかったことに気づく。そして、今まで気づかなかった解決策も見えてくる。
大滝さんは出会いによって急速に視座を上昇させ、「まちづくり」から「ソーシャルビジネス」へと意識を切り替えた。それらを「一貫したもの」として捉えたのは、解決のためにはビジネスやまちの外へのアプローチが、既存の問題の解決につながると感じたからだろう。
だが、他の関係者は、どうだったのだろうか。私達の世界を捉える”視座”は個人のもので、共有できるものではない。だから「そこに行きたい」という必要性と意志が生まれない限り、視座の共有はできない。宰嘉庵とKOKINの危機のとき、他のメンバーの視界には何が映っていたのか。
伺うと、大滝さんは天井を仰ぎ、「ああ〜〜〜〜」と、嘆息混じりの声をあげた。
「今、思いました。そのときにめちゃくちゃ揉めたのは、そのズレだったんですね。『大滝さんは方向性が変わってしまった。私達の場所が失われてしまう・・・・・・。』と、彼らは話していました。でも、僕は『ビジネスで雇用を生んで、チャンスのある町を作る。それが大事やのに、なんでそれが分からんねん!』と突き放してしまった。もっと、丁寧に関わらなきゃいけなかったのかーー。」
同じ対象を見ているはずなのに、同じものを観ていない。その事実は、思いを重ねてきた仲間同士であるほど、大きなショックとストレスを生む。さらに酷くすれば、「より高い位置へ登ること、先に進むことが良いことだ」というバイアスで、劣等感や軽蔑といった負の感情すら芽生えさせる。それを認識したくないが故に、互いの関係はよそよそしいものになっていく。
どの団体でも起こり得る普遍的な危機。KOKINと宰嘉庵にも起こった同様の事象に、果たしてもっとよい対処法はあったのだろうか。
「あったと思います、もっとできることが。僕がもっと謙虚になって、僕らの間にあったズレを認識して、もっと彼らの言葉に耳を傾けて、寄り添って、話し合いをしていたら。結果的に『目指す方向性が違うね』となったかもしれないけど、きっと今それぞれが持っている“触れたくない傷“のような、そんなしこりは残らなかったんじゃないかな。」
先を急がなければ、世界は変わっていってしまう。一時でも立ち止まれば事業が継続できなくなってしまう。自らを鼓舞して責任と重圧を力に変えるリーダーにとって、立ち止まって寄り添うことはとても難しい。後悔の念を口にする大滝さんを見て、その困難さを痛切に感じた。
忘れてはいけない、大切な存在

小さな組織が移行期にあるとき、決断と合意形成の両方をリーダーは求められる。そんな困難な状況で、リーダーはどうあるべきなのだろう。そんな難しい問いを、大滝さんに聞いてみた。
「僕は一人で孤独に、全部を受け止めすぎたなと思います。もっと、ずっとそばにいてくれた人を信じて、自分の苦しさや本当の気持ちを打ち明けるべきだったんでしょうね。苦しいとき、業績が悪いとき、それでもずっと一緒に頑張ってくれる人は、必ずいますから。苦しいときは意見も対立するので、見失いがちですけど・・・それでも助けてくれる人はいるんですよね。KOKINでも工務店でも、それは強く実感しました。」
たとえ激しく衝突したとしても、残って共に事業を支えてくれる人がいる。まちづくりでも本業でも、たくさんの過ちがあったからこそ、今はそうしたかけがえのない存在への感謝が自然と湧いてくるようになったと、大滝さんは自分の心に確認するように語ってくれた。
「外から入って来てくれる人、新たな刺激を持ち込んでくれる人も、とても大事です。これは“どちらが”という話じゃない。でも、ずっとここに居続けてくれる人がいるから、組織や会社は新陳代謝していけるんです。それは本当に得難い価値だから、自分はそういう人達をもっと大事に、幸せにしなきゃいけないなって、ここ数年で思うようになりました。」
大滝さんはこれからも新たな使命感を抱き、視座を高めて変わり続けていく人だろう。チャレンジが止む日は、もしかしたら来ないのかもしれない。だからこそ、根幹である「大滝工務店」に意識を向け、これまでの事業を信頼できる「続けてくれる人」に託していこうとしているのだ。生み出された事業を担う「後継ぎ」の重要性を、後継ぎを求める立場になったことで、大滝さんは再び噛みしめている。
「まちづくり事業では地域おこし協力隊として来てくれた子が、ゲストハウス事業では畑違いのところから入ってくれた二代目の彼が。どちらも一から勉強して、丁寧に運営してくれています。」

綺麗で整った部分だけを見る、それが観光なのかもしれない。でも、暮らしは綺麗だけで済むものではなく、痛みや苦みもある。時に記憶に傷を刻み込みながら、まちに住む人たちは汗を流し、懸命に暮らしをつなぐ。そして、誰かがその後を継ぐからこそ、今がある。それを包み込んできた空気が、そこに情緒を生み出すのではないか。
西舞鶴と宰嘉庵は、そこに生きる人達の営みを感じられる“情緒ある場所”だと、私は改めて思う。