熱烈な支持を受ける"大人の静かな宿"。秩父の御宿 竹取物語は、なぜ特別か
全国津々浦々、家族経営の旅館が数え切れないほどある中、一際異彩を放つ旅館が埼玉県秩父市にあります。
宿の名前は『御宿 竹取物語』。現存日本最古の物語モチーフにした全7室のこの宿は、《大人限定・グループ宿泊不可・オールインクルーシブ》という特徴的なスタイルで、大手OTAサイトの最高評価と熱烈なクチコミを獲得しています。しかし、この旅館はもともと大きな差別化要因を持っていたわけではなかったようです。
ありふれた旅館から、特別な旅館へーー。
一つの家族から生まれた宿の物語は、いったいどのようにして特別になっていったのでしょうか。第3回のLOCAL+EYESは、この不思議な旅館の2代目女将の視点に迫ります。
【Hotel&Guest Profile】
御宿 竹取物語
埼玉県秩父市にある小さな温泉旅館。大好きな人をもてなすように迎えたいと「実家みたいだけど、実家じゃない。旅館のようで、旅館じゃない。」を目指す一風変わったお宿。滞在中の食事やアルコール、貸し切り風呂などのサービス料金もインクルーシブで提供中。
https://www.oyadotaketori.com/
浅見 礼子 (あさみ れいこ)
母・浅香タチさんが立ち上げた『あさか旅館』を引き継ぎ、宿を切り盛りする2代目女将。小学校時代から母の背中を眺め、宿への複雑な思いを抱えながら育つ。夫の一男さんと結婚を機に後を継ぐことを決心。以来、秩父の小さな宿の世界を作り続けている。
おきなとおうなの小さなお宿
日本人の誰もが知る「かぐや姫」のお話。その名にちなんだ小さな宿が、秩父温泉にある。
遠目からも分かるような煌びやかな御殿ではない。竹藪を背負った、日常的な営みを思わせる宿。それが『御宿 竹取物語』だ。
「宿なのか不安になった」という声もあがると言うが、宿泊後の評価はすこぶる高く、楽天・じゃらん両サイトの総合評価はなんと「総合5.0」、最高点を獲得している。
「本当、自分でも変な旅館だなって思います」
そう女将自身が笑ってしまうほど、この宿は個性的だ。4名利用が可能なのは離れのみ。本館は全室大人2名まで。グループ宿泊の受け入れも無く、小学生以下の子どもの入館も不可。これらはすべて、《静かでゆったりとした空間》を保つための取り決めなのだそうだ。
「集客を考えれば、お子様連れやグループのお客様を受け入れる方が賢いのかもしれません。単純な室単価が倍に上がるわけですから。でも、私たちはこうしたいと思ったんです。」
変わったところはそれだけではない。この宿は《オールインクルーシブ》、滞在中のおつまみやドリンク、貸し切り風呂や着付けなど、バーを除くほとんどのサービスが予約時の宿泊代金に含まれる。食事中のアルコール類、それも有名な秩父の地酒や自家製梅酒なども追加料金なしで楽しめるのだ。
基本の宿泊単価自体は高めの設定となるとはいえ、全7室の小さな宿でアップセルの余地がバーだけでは、売上は頭打ちになってしまうのではないか。なぜそんなシステムを取るのか問うと、返ってきたのは驚くほどシンプルな答えだった。
「すごく大事な家族だったり、恋人だったり、恩師だったり、そんな人が泊まりに来てくれるとしたら何だってしてあげたいじゃないですか。『何でも食べて、何でも飲んで』って言いたいんです。それを突き詰めて考えていったら、やっぱりこの形なんです。」
豪奢ではなくとも、心ゆくまでくつろいでほしい。そのためにどこまでもこだわり抜いて、愛情と時間をかけて接したい。そう考えるから、おつまみの燻製一つにも手間をかける。
それは有料のバーであっても同じだ。モヒートの材料となるハーブ・イエルバブエナを畑で育て、「摘みたてを飲んでもらいたいから」と、注文を受けてから摘んでくるのだという。そこには効率的に売上を伸ばそうという気配が少しも感じられない。
ゲストはそうした女将とご主人の姿に「竹取のおきなとおうな」のようなひたむきな愛情を感じ取る。そして、その家での静かな時を過ごすうち「かぐや姫」のような心地になっていく。
こうした丁寧なサービスと独自の世界観は多くのファンを生み、魅力ある宿が並ぶ秩父温泉の中でも『御宿 竹取物語』は知る人ぞ知る名宿の一つとして高く評価されている。
しかし、これらは最初から意図して作り上げていったものでなく、さまざまな偶然が重なって、徐々に今の形になっていったのだと女将は言う。では、このおきなとおうなの世界は、どうやってできていったのだろう。
先代の旅館に「世界観」が宿るまで
荒川の支流・浦山川沿いの竹藪を背負った土地に、宿の前身『あさか旅館』がオープンしたのは1971年のこと。礼子さんの母・タチさんが「娘一人を家に残して寂しい思いをさせたくない」と始めた旅館業だったそうだ。
「当時は西武鉄道も開通したばかりで観光客もまばら。そんな中で女一人、子どもを抱えて宿を経営するのは並大抵のことじゃなかったでしょうね。宿への想いがどうとかコンセプトがどうとか、そんなこと言ってられる状況や時代ではなかったはずです。」
ただただ無我夢中で営業を続けていたと、礼子さんは先代女将の姿を振り返る。それでも「熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに」という基本を大事にしたあさか旅館の料理は評判となり、バブル期を迎える頃には客入りも安定、1996年には借り入れ金を完済するまでに至ったという。
だが、この完済は礼子さんにとって大きな岐路でもあった。
「完済した時、旅館は大変だからもう辞めようかと母が言い出したんです。私自身は母が必死で切り盛りしてきた宿を途切れさせたくなくて、やっぱり私がやらなきゃと女将になることを決心したつもりではいました。でも、この言葉で気持ちが揺らいでしまって……。でも、そんな私たちを見るに見かねたんでしょうね。ある日、夫は勤めていた会社を辞めて来て『ここをやるから』と、一人で料理修行に飛び出していったんです。」
途切れさせたくない、自分がやらねばーー。
同じ想いを抱いた夫の一男さんに背中を押され、礼子さんは全面リニューアルをして宿を作り直していくことを決めた。この頃に生まれたのが宿の名物となる「くるみ豆腐」、そして新たな宿の名前だった。
「『月の姫』は竹取のおきなとおうな、それにかぐや姫の三人に焦点をしぼった美しい絵本です。この話から得たインスピレーションで今の宿名をつけたものの、これでいいのか最初はずいぶん悩みました。だって、『竹取物語』と言えるのは裏に竹藪がたくさんあるということだけでしたから。」
つけた名前に見合うような世界観を吹き込みたい。そう願った礼子さんは、数年後に竹取物語の世界観を色濃く打ち出した離れを作ることを決意した。
だが、竹取物語のどの場面をどのようにして表現すればいいのか。そう迷いながらご主人や設計士の方と議論を交わして行き着いたのが、離れが傾斜地にあることを活かしたアイディアだった。
「離れに入ったかぐや姫を迎える部屋は、貧しく鄙びた風情を残したダイニングに。そこから階段を降りた先に、裕福できらびやかな住空間をつなげれば、物語の時の移り変わりを表現できると思いました」
物語と現実をつなぐアイディアを得た礼子さんのもとに、さらに世界観を濃密にするピースがもたらされる。それが現在も二間をつなぐ廊下にかざられている「書」だ。
「建築中に書家の先生が広げて見せてくださったのは、作品展に出品したという竹取物語の大きな書でした。『これ、もしかして……』と感じて壁面に合わせてみたら、なんとピッタリだったんです。あの書がなかったら、今のような趣は出せていなかったと思います」
こうして宿の世界観を決定づける『離れかぐや』は出来上がり、それを手がかりに本館の部屋も少しずつ改装を重ねることで、『御宿 竹取物語』は名実一致の宿になっていった。
ミスマッチの苦悩と客層を絞る決断
ハード面で世界観が構築されても、礼子さん達にはまだ迷っていることがあった。それがソフト面だ。
どの宿もオンラインのクチコミには頭を悩ませていたが、竹取物語も同様だった。その安定しない点数が目指すべきサービスポリシーを貫けていない裏付けのようにも感じられ、礼子さん達を苦しめていた。
「クチコミの点数って本当に生き物なんです。ちょっと前まで、今では考えられないような平均点をいただいていましたから。滞在中はすごく喜んでくださっていたはずなのに、付いた評価は辛口であることも多くて……。」
クチコミ評価なんて気にしないーーそう言えればいいが、低評価のクチコミは売上にも大きな打撃を与えるし、ゲストを満足させられなかった不甲斐なさには心揺さぶられるのが現実だっただろう。女将は続ける。
「旅行は時間・健康・お金の三拍子が揃ってないとできません。お客様はこの全てを揃えた上で私たちの旅館を選び、楽しみに来てくださるんです。それなのに満足してもらえないというのは、本当に悲しいことですよね。秩父や埼玉の女将会でも、クチコミで悲しい思いをしていない人は誰もいません。ミスマッチをどうやって防ぎ、ご満足いただけるようにするか。宿泊業の誰もが頭を悩ませていることだと思います。」
なんとかお客様に満足してもらえる宿にしたい。だが、そこに近づいていくには、万人向けの宿をしていては難しいのではないか。自分達自身が望むおもてなし、宿の在り方を追求していくべきではないかーー。
竹取物語のおきなとおうなとして長い時間を過ごしてきた二人は、その思いを強めていった。そうして思い至ったのが《大人限定の静かな宿》《オールインクルーシブ》への転換だった。
しかし、客層を絞り込み基本単価も上げるということは、長年育んできた大切なリピーターの方々との関係をも変えるということを意味する。それは当然、経営面でも大きなリスクだったはずだ。
だが、悩みに悩んだ末、2019年に礼子さん達は変革を決断した。ホームページには正直な思いを綴り、1年以上は絶えなかったという電話問い合わせにも対応し続けた。
「どうしてお子様連れやグループがダメなのかというお問い合わせを、本当にたくさんいただきました。ただ、自分達ですらおかしな宿だと思っていましたから、最後は『変な旅館で本当にごめんなさいね』としか言えませんでした……。でも、心の底からそう思っているのが伝わるんでしょうね、どのお客様も納得してくださいました。」
こうした苦労がありながらも、宿の運営を大きく変えたことでゲストの満足度は目に見えて上がったと礼子さんは微笑む。
しかし、コンセプトを先鋭化して単価を上げれば、ミスマッチを起こした際のゲストの落胆も大きくなってしまう。その点はどのようにカバーしたのだろうか。
「確かにそうですよね。たとえば単価を上げると高級宿であることを期待するお客様も多いと思うのですが、私たちの提供する料理は豪華ではありませんし、高級食材を使っているわけでもありませんでした。一つひとつに心を込め、手間暇を惜しまず訪れてくれた方をおもてなしするというのが、私たちの提供するものです。ただ、単価が上がればお客様は慎重に宿を選ばれますから、私たちがどんな宿なのか読んでいただけたらちゃんと伝わるようにホームページを作り込んでいくことを大事にしました。」
「もちろん単価を上げて、ターゲットを絞りこめば集客は難しくなります。今もそこは課題です。でも、そばで見ている私が驚いてしまうぐらい手間暇をかけた主人の燻製を、高級感を求めるお客様が食べて『美味しくなかった』と言われてしまうのも悲しいです。だから、私たちの正直な姿を事前に知ってもらうことを大切にしています。」
そもそもミスマッチを起こさないように入り口を絞り、それでも魅力を感じて訪れてくれたゲストを心からおもてなしする。宿とゲストが深くマッチすれば満足度は高まり、高い評価と詳細なクチコミが積み重なる。そして、さらにそのクチコミが宿の輪郭を濃くし、ミスマッチの確率をさらに下げていく好循環ができる。
振り返って見ればこれしかないようにも思える形だが、道を歩んでいるときはおぼろげにしか見えなかったはず。現在の高評価を支えるこのサイクルが構築されるまでの長い懊悩が伺い知れた。
小さな宿の、物語の源泉
最初から明確な輪郭は見えなくとも、自分とお客様に対して誠実な模索を続ければ、宿のあるべき姿は少しずつ現れてくる。『御宿 竹取物語』はそうして完成した宿の好例ーー。
そんなふうに記事を結ぼうかと考えていた取材終盤、新しい世代のスタッフに話が及ぶと礼子さんの話はますます熱を帯びて止まらなくなった。完成なんてとんでもない、まだまだ新たな巡り合わせとストーリーが加わり続けているようだ。
「旅館の仕事で地元の素敵な方々と出会った娘は、『コーヒーを通じて秩父を世界にアピールしたい』と国際的なコーヒー鑑定士の資格を取得してしまったんです。彼女が仕入れる世界最高水準のコーヒー豆は、今や旅館の朝に欠かせません。」
「元保母さんのスタッフは写真を撮るのが本当に上手なんです。彼女の優しい写真には人の表情の機微があって、ホテルの魅力を引き出してくれるんです。」
「もともとお掃除から入った子がいるんですが、接客が楽しくなって仲居になったと思ったら、おつまみのクラッカーも作ってくれるようになって。彼女のクッキーは今や名物。ついには料理も手がけるようになったんですよ。」
「スタッフみんなで開くお料理会議でも、みんな好き放題言いながらいろんなアイディアを出してくれるんです。月替わりのジェラートアイスは、手前味噌ですけどすっごく美味しいんですよ。アスパラ、イチローズモルト、地元ワイナリー秘蔵の甘酒に……」
なぜそんなにも宿の新たな魅力や物語が次々生まれてくるのだろう。当然、女将の愛情あふれる人柄もあるのだろうが、他に何か秘訣があるのではないか。そう思って、聞いてみた。
「何でなんでしょうね。自分でもわからないんですけど、きっと私たちがどんどん衰えていくからじゃないでしょうか。『やってやんなきゃしょうがない!』って思うのかもしれませんね(笑)。」
なるほどと、腑に落ちた。女将やご主人もそうだったのかもしれない。「あの人が必死でつないできた宿を残したい。自分がやらなきゃ。」そんな思いが芽生えたとき、その人の個性と力が引き出される。そこに偶然の出会いが加わることで、新たな魅力は生まれる。そこに、物語の源泉もある。
『御宿 竹取物語』はそうして生まれた魅力とストーリーを束ねた《草子》のような場所。だからこそ、他のどこにもない宿なのだ。